みかんの花

樹齢100年を越すみかんの古木

 

200有余年の伝統と歴史を持つ「伊木力みかん」

町を代表する特産品として、
味・銘柄ともに多くの人々に親しまれている。


 江戸時代末期、天明年間(1780〜88)伊木力村の田中唯右衛門・中道継右衛門・田中村右衛門らが、当時の大村藩主・大村純鎮公から苗木を頂き植え付けたのが、みかん栽培の始めといわれています。その後、みかんの需要が高まり、松尾福次郎らの功績で生産も拡大していき、明治24(1891)年には伊木力村の田中元左衛門・中道嘉助・田中寅吉らが先駆者の子孫として、長崎県知事より表彰を受けました。
 明治35(1902)年、当町の伊木力地区で生産される温州みかんについては「伊木力みかん」に統一され、名実共に県産品の中心としての地位を確立し、生産性はさらに向上していきました。
 しかし、太平洋戦争の勃発に伴い労力・資材の不足から果樹の伐採が行われ生産は急速に低迷していきました。
 終戦後の復興期に人ると、生産も徐々に回複し、高度成長期には、伊木力は県下有数の果樹生産地に発展し、その後、「伊木力みかん」は、商標として登録されました。このように二百年余りにわたり栽培と改良を積み重ねて来た「伊木力みかん」は、今も、先駆者の努力を受け継ぐ人々によって、豊かな自然の中で大切に育てられているのです。

 

 

開祖3氏賞状と木盃(昭和7年)
(昭和46年版多良見町郷土誌より転写)

田中只四郎
(唯右衛門から6代目)
中道茂佐久
(継右衛門から5代目)
田中栄太郎
(村右衛門から6代目)


明治の出荷風景

松尾福次郎(山川内生れ)は、生産者でありながら伊木力みかんの仲買商を始め、明治17年にはシベリアに輸出を行うなど、販路拡大を図った伊木力みかんの先駆者です。

伊木力みかん海外出荷風景(昭和15年)

旧大草村の藤原龍珍が日本で初めて導入した青酸薫蒸(明治末期)

 

 

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