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第1号
1999/7/7

発行/
しゅっしゅぽっぽの会

TEL.0957-43-6060(古賀方)

去る5月29日の発会というか、準備会には多数のご参加をいただき、有難うございました。激論(?)の末、今後も定期的に継続していこうとの賛同をいただきましたので、少し間が空きましたが2回目の会のご案内を致します。
「今がチャンス…」という呼びかけ人の挨拶から始まりました。何のチャンスなのか。なぜ「再開発」なのか。将来に向けて、とにかく何をするのか。将来とは? いきなり、かなりの議論でした。本音と疑問と希望を語りました。
人が集まります。水害はもうないか。安全か。100年の大計なのか、緊急の計画を進めるべきなのか。古くからの住民と、子どもを含めた新しい住民とが、昔話と現状とそして明日を語り合わなければ、その方向はでてこないだろう、との結論であったと思います。
ご存知のように「都市計画マスタープラン地域別まちづくり協議会」という「まちづくり」も始まりました。私たちの会からも、6名ほどの方が「化屋地区協議会」に入っております。
あなたの考えを、100の意見を、1000の願いを出していく「チャンス」です。
老若男女のご参集を再度よびかけます。どうぞぜひいらして下さい、雨漏りのひどい化屋名公民館に(公民館も建て直さなければなりませんネ)

拡大あり

 

1872年に東京=横浜間を走り始めた鉄道は、1889年に京都=東京間、1891年に上野=青森、門司=熊本、1898年に門司=長崎というぐあいに、日本中を汽車が発する文明の音とリズムで結んでいった。
「汽笛一声新橋を…」で始まる「鉄道唱歌」の発表が1900年、「空にさへづる鳥の声…」で始まる「美しき天然」の発表も同時期。どちらも汽車のスピードで全国に広まった。
ちなみに「美しき天然」は佐世保の女学校校長の依頼で佐世保の海軍軍楽隊長=田中穂積が作曲とある。3拍子のリズムで哀愁を帯びたメロディが「演歌師」によって、この「喜々津駅前」で歌われたかどうかは、勿論私は知る由もないが?

 

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